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有島武郎

「訳本2冊、愛蔵本1冊、袴(木田金次郎肉筆文章付き)」

その他
高さ93cm 幅66cm

売約済

書籍3冊、袴の計4点、とても古いものです

・有島武郎 愛蔵本 「ホイットマン小伝 11月の枝」
表紙裏に木田金次郎肉筆の文章

・有島武郎 訳本 「ホイットマン詩集 1」
表紙に有島肉筆の美しいラベル貼付

・有島武郎 訳本 「ホイットマン詩集 2」

・袴
木田金次郎画伯が形見として貰い受けた、有島武郎の美麗な袴。

以上4点は木田画伯が恩師有島の思い出として、とても大切にしていたもので、北海道の博覧会等に出品されたこともあります。

サイズ表記は袴のものです。

書籍はヤケ、破れ、経年感、袴にはシミがあります


有島武郎(ありしまたけお)

1878 東京生まれ
1884 横浜英和学校入学
1887 学習院予備科第3年級編入学
1896 学習院中等科卒業後、札幌農学校予科5年級編入学
1901 札幌独立基督教会入会/札幌農学校本科卒業後、志願兵として1年間兵役につく
1903 渡米、ハバフォード大学院、ハーバード大学で学ぶ/社会主義に傾倒しホイットマン、ニーチェなど西洋文学に影響を受ける
1907 前年にアメリカを出国し、ヨーロッパ各地を周遊し、帰国
1908 東北帝国大学農科大学予科の英語教師として札幌に赴任/学内美術愛好団体・黒百合会設立や社会主義研究会に関与/山本農場を有島武郎名義に変更
1909 遠友夜学校校長に就任/東京で陸軍少将神尾光臣の次女・神尾安子と結婚
1910 実弟生馬、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人『白樺』に参加/札幌独立基督教会退会/「生れ出づる悩み」のモデル木田金次郎が来訪
1914 安子の結核発症にともない東京に移居
1916 妻・安子、父・武、死去
1917 農科大学退職/以降、多くの作品を発表し、作家としての地位を確立/「有島武郎著作集」創刊/有島農場で木田金次郎と再会
1920 『小さき者へ』『生れ出づる悩み』『或る女』『惜しみなく愛は奪う』『一房の葡萄』『旅する心』を発表
1922 思想と実生活の一元化を求め、有島農場の小作人への解放、邸宅・家財処理の意志を表明/個人雑誌『泉』創刊/『宣言一つ』『星座』『ドモ又の死』『小作人への告別』を発表
1923 『親子』を発表/6月9日、婦人公論記者・波多野秋子と軽井沢の別荘・浄月庵にて心中

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