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横山大観
富士山
木版画
高さ55cm 幅73cm 奥行5cm
(額寸)
売約済
凛々しき富士と雲上に顔を出す陽
限定200部、証明シール
マット内寸:33.5×51.5cm
シミがあります
横山大観(よこやまたいかん)
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1868水戸市生まれ、水戸藩士酒井捨彦の長男
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1885東京英語学校入学/傍ら渡辺文三郎に鉛筆画を学ぶ
1888年 母方の姻戚横山家を継ぎ、姓を横山と改める/結城正明につき毛筆画を学ぶ/東京美術学校創立事務所に狩野芳崖を訪ね教えをうける
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1889東京美術学校第一期生として入学。岡倉天心、橋本雅邦らに学ぶ
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1893東京美術学校卒業
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1896京都市立美術工芸学校予備科教諭退職/東京美術学校助教授
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1897第2回絵画共進会『無我』銅牌受賞
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1898美術学校騒動で校長岡倉天心らとともに東京美術学校助教授辞職/日本美術院創立/第5回絵画共進会『屈原』銀牌一席受賞
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1899第7回絵画共進会『夏日四題』銅牌受賞
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1900第8回、9回絵画共進会『長城』『木蘭』出品。それぞれ銀牌、銀牌一席受賞
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1901菱田春草と九州・北陸各地へ写生旅行
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1902第12回・13回絵画共進会『茶々渕』『迷児』を出品。それぞれ銀牌一席、銀牌受賞
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1903春草とともにインド・カルカッタで作品展開催
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1904春草らと共に渡米/ニューヨーク、ボストンで作品展開催/春草らと共に渡欧/ロンドン、ベルリン、パリで作品展開催
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1907文展審査委員/国画玉成会評議員
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1913日本美術院を再興する
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1924下村観山、竹内栖鳳、川合玉堂らと淡交会結成
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1930イタリアに美術使節として出発
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1935帝国美術院会員
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1937第一回文化勲章受章
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1957作品『不二』絶筆となる
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1958逝去/正三位勲一等旭日大綬章を追贈
<所属>
文展審査委員、国画玉成会評議員、帝国美術院会員
<特徴>
第一回文化勲章、正三位勲一等旭日大綬章
