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ジョルジュ・ルオー

「ヨルダンの岸辺で」

リトグラフ
高さ53cm 幅41cm (額寸)

売約済

特徴的で力強い描写に心が強く動かされます

1929年制作
挿画本「伝説的風景」より
レゾネNo.355/限定150部

ジョルジュ・ルオー

1871 パリ・コミューンの崩壊前日、砲撃の中生まれる。父アレクサンドルは家具職人。
1885 父の勧めでステンドグラス職人のもとに徒弟奉公に出る。古いガラスの修復に従事しつつ、夜は装飾美術学校で素描を学ぶ。
1890 画家になる決心をし、国立美術学校に入学。エリー・ドローネの教室に入る。
1894 「博士たちの間の幼きイエス」がシュナヴァ-ル賞受賞。
1895 ローマ賞に再度応募するが落選し、師モローの勧めに従い美術学校を退学。
1903 パリにモロー美術館が開館し、モローの遺言により初代館長に任命。この頃から道化師や娼婦を描き始める。
1904 サロン・ドートンヌに作品を出品。観衆は一連の「黒い絵」を嘲笑。
1908 「法廷」の連作、貧しい農夫、労働者の絵を描く。人間の内面にまで踏み込んだ表現主義的な描写を試みる。
1913 ルオーの陶器に興味を抱いた画商ヴォラ-ルが、今後の全作品を購入するよう申し出る。
1917 画商ヴォラ-ルと専属契約を結ぶ。『ミセレ-レ』、『悪の華』などの版画集を計画。
1918 油彩画に専念。「キリストの受難」等宗教的主題が多くなり、色彩は鮮やかに、マティエールは豊かさを増し、表現はさらに凝縮されて重々しくなる。
1924 ドリュエ画廊で大回顧展開催。
1929 日本人実業家の福島繁太郎と最初に出会う。
1930 版画集『流れる星のサーカス』、『受難』を制作。30年代は道化師、裁判官、聖書風景、キリスト像など大型の油彩を輝く透明なマティエールで描く。
1937 パリ市プティ・パレ美術館で回顧展開催。
1941 アメリカ各地で巡回展。以後青を基調とする厚塗りで芳酵なマティエールの小型の作品を描く。
1951 黄色味を帯びたキリスト教的風景画が表れ、平和で神秘的な情景が多数描かれる。
1955 ローマ法皇ピウス・よりグレゴリオ大勲章を授与される。
1958 死去、享年86歳

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