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北海道画廊 店内


原 義行 作品 紹介

「トーキビ売り」1975年作

「ネッカチーフ」1978年作

札幌郊外 夏」 1975年作

「燈台への道」

「札幌の冬」1965年2月作

「岬晩秋」 1973年作

「ばら」

「春待つ浜」1973年作

「驢馬をひく男(洛陽)」

「無題」

「村の人々」 1974年作
御逝去後、神田一明画伯(神田日勝の兄)が原義行さんに贈った言葉


『 灰色の風景 』 神田 一明

原義行さんの絵を初めて見た時のことを思い出します。それは東京の行動展の会場でのこと、白黒灰色で描かれた大きなタッチのその抽象画は、宇宙の原初のビッグバンを想わせる緊迫感と、同時に限り無い静寂感をたたえた不思議な画面でした。

それは昭和34、5年の頃で私はまだ学生でした。当時の画壇は抽象旋風が吹き荒れて居ましたが、上野の美術館の行動展会場の中でも原さんの作品は目立っていました。

その後私は北海道に帰って全道展に出品する様になり、その会場で原さんに初めてお目に掛かったのでした。昭和37年ごろでしょうか、行動展の札幌巡回展の折、行動出品者7、8人で原さんのお宅にお邪魔したことがありました。当時、元老の田辺三重松さんは亡くなったあとで道内の行動出品者の中で原さんはリーダー的な存在でしたが、原さん宅で、竹内 豊さん、岸本裕躬さん、浅山咲知さ・達と共に論じ合った絵画論は大変興味深く、皆2、30代でもあり大いに意気が上がり、思い返しても遠い過去の事とは思えず、原さんをはじめ皆の活き活きした意恣的な表情が昨日の事の様に楽しく思い出されます。

「具象をつきつめて行くと抽象に至るが、これからは抽象を如何に具象化するかが問われる時代だ」と言う様な議論だったと思います。喧々諤々のあと結局、原さんの意見に皆耳を傾け、一応治まった様でしたが、その時の原さんの意見がどんな内容であったか思い出せないのが残念です。

数年後原さんの作品は具象画に変わり、浜辺や港などで働く女性労働者風の「はずし娘」が主題になり、描かれた女性の表情に何かユーモラスなものが感じられました。

原さんは毎年の様に札幌で個展をされたそうですが、旭川の私は遂に一度も拝見出来ず、今思えば残念な事をしてしまったと後悔しています。年に一度全道展と行動展で作品を拝見するだけで、小品は一度も拝見した事が無かったのですが、後年旭川で或る医院に人を見舞いに行ったその待合室で、私は一枚の灰色の油絵に惹き付けられました。暗い10号位の風景画でしたがシャープな線が効果的に活かされていて何とも言えない情緒のある魅力的な作品でした。何処かの街はずれのメランコリックな雰囲気が漂っている情景で灰色の空と黒っぽい街並み、電柱などが懐かしさともの悲しさを想わせる画面でした。

それを見た瞬間、私はあお二十数年前、原さん宅で皆と語り合った「抽象の具現化」と言う事が思い出され、そして原さんの抽象時代の白黒灰色の組み合わせの美しさがここに見事に具象化されていると思ったものです。

あれから又、十数年が過ぎてしまいました。晩年奥さんを亡くされて気落ちされ、病気がちであったと聞いております。

全道展も年々よき先輩を失い淋しくなります。
原さんの御冥福を心からお祈りします。

2004年3月 (全道展第59回展図録より)

「焚火」F80号 ・ 第59回行動巡回展遺作出品作品
原 義行 略歴

(行動美術協会会員・全道展会員・
札幌市民芸術賞受賞)


1916年 札幌出身
1940年 道展に初入選
1953年 全道展で奨励賞(55奨励賞、56知事賞)
1957年 全道展会員
1964年 行動美術協会会員
1972年 東京銀座 資生堂ギャラリーにて
(1972年より連続5回個展開催)
1992年 北見市と訓子府町に絵を寄贈
1996年 札幌市民芸術賞 (平成8年 第25回)
2004年 御逝去(享年88歳)

・山鼻小学校教諭
・北海道美術文化振興協会理事
・拓銀カレンダー原画制作
昭和51年「原生花園より知床を望む」



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